合気道っていうのは宗教だと思う
哲学とは言わない
宗教はある意味で説得力があるし
ある意味でない
宗教は信じないといけないものだからね
日本には支配的な宗教がないって言われるけどそれは違ってて、日本で育った日本人なら「世間 / Seken」っていうのを基本的にどこかで現実だと信じてる
「世間 / Seken」って自分の身の回りの、直接関わる100人くらいの人たち
ほとんどの日本人はそこは現実だと思ってるはず。でも100人を信じるのも10億人を信じるのも宗教、規模は関係ない
そういう風になるように、日本は所属集団を簡単に流動できないような社会システムに作ってきた。もちろんそれが悪いとは思わない、犯罪に抑止力があるしね
そうすると自分は「世間 / Seken」や合気道に関してそんなに信心深くないな
所属に関わらず、言いたいことは言うしね
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司馬遼太郎が生涯賭けて言いたかった「日本人のリアリズム」って
「世間 / Seken」のことだと思う
だから司馬さんは「世間 / Seken」が宗教だとは思っていなかった
宗教のない社会なんてないんだと思うけどね、どんな人でも何かは信じてる
でも司馬さんよりあとに生まれた全ての日本人が、そのことに本当に実感があるかというと俺はそうは思わないけども
そもそも「心 / Mind」そのものが
宗教なんだから
「心 / Mind」をうまく生かしたのが「言語」という手段で、「心」を言語化して集団をひとつに統一させた
霊長類学ではホモ・サピエンスが言語の発達によって、大きなネアンデルタール人よりも集団戦略を活かして生存できたというのが大きいと言われていますね
だから「心 / Mind」のルーツって集団を機能化することだと私は思ってる
つまり「心 / Mind」って人と共有できてナンボなんだよね
ルーツからして本人しかシェアできない個性って求められてないんだよね
つまり心に「個性」って必要とされてない
心ってシェアするために生まれた
手段なんだから
こういう戦争が起きるとつくづく実感する
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