最近、「正義」という言葉がよく世界のメディアで使われてる
でも実際、例えば日本とアメリカで「正義」の感覚って全然違っている
少なくとも自分は日本語の「正義」って言葉の翻訳を英語の 「Justice」だと思ったことはない
ただ「正義」も「Justice」も共通してるのは、コミュニティの安定。そこは一致している
「正義」を貫くには「力」が必要なんだけど、
そのアプローチの感覚がキリスト教圏と日本では全く違う
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例えばアメリカ社会が使う「正義」は「権力 / Power」
強大な力を持った人がそれをどう公共に分配するか。つまり持ってる本人の問題なんだよね
一人称の ”I”
アメリカ社会でチャリティーや慈善活動が義務に近いのは、そういう経緯から来るんだと思う
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でも日本人にとって「正義」って「反権力 / Counter Power」
権力を持った相手の力をどう減らすか
”He or She” “They”
二人称・三人称として見てる
一般的に日本人が判官贔屓とか忠臣蔵を好きなのはそこと関係してるんじゃないか?
そもそも日本社会って歴史的に力が一極集中することを好まない
だからアメリカ社会がプーチンについて一言いうとすれば
「あなたは権力の使い方を間違えたね」
でも日本人ならそもそも
「プーチン大統領、権力の一極化が良くないよ」
っていうことだと俺は思ってるんだけどね
日本のシステムは共和制だから。
No Warということでは日米は確かに共通しているけども、話をすり合わせていくと、今回の戦争に関して捉え方はだいぶ違うんじゃないか?
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キリスト教圏って天使と悪魔が背中合わせで、綱渡りしているように見えるんだ
つまり使い方を間違えた権力者は社会的評価が一変する
だから天使が堕天使になって悪魔にひっくり返る
プーチンが自分に「Justice」があると言ってる
そうすると「Justice」というものが、我々日本人にはよくわからなくなるよね
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