荒木経惟と篠山紀信の絶縁のきっかけとなった荒木の作品「センチメンタルな旅・冬の旅」
新潮社の月刊誌「波」(91年2月号)で対談で
荒木経惟が撮影した妻陽子さんの遺体の写真を篠山紀信が批判している
ここに二人の感覚の違いが出ていると思います
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荒木「死は一番真実。前はどんなふうに見てもいいというつくり方だったけど今回はそれ以外の見方はさせない」
篠山「そんな不遜な写真集なんか僕は見たくないね。あなたの写真は一面的じゃないというか、多様性を孕んでいるからこそ面白かったんじゃないですか。本当のこというとこれは最悪だと思うよ。荒木ほどのやつがこれをやっちゃったのはどうしてかと思ったね」
荒木「一回妻の死に出会えばそうなる」
篠山「ならないよ。女房が死んだ奴なんていっぱいいるよ」
荒木「でも何かを出した奴はいない」
篠山「そんなのも出さなくていいんだよ。これはやばいですよ、はっきりいって」
荒木「いいや最高傑作だね。見てるとミサ曲が聞こえてくるでしょう」
篠山「だからつまらないんじゃない。ミサ曲が聞こえてくる写真集なんて誰が見たいと思うの。あなたの妻の死なんて、はっきりいってしまえば他人には関係ないよ」
荒木「だからこれは俺自身のためのものなの。なんといっても第一の読者というのは自分なんだから…」
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興味深い対立です
このことについて
ぼちぼち話していこうと思います